沖縄県で治験ボランティア募集中
治験とは
「くすり」は、病気やけがの治療のためになくてはならないもの。そして新しい「くすり」を開発するためには、長い年月と多くの人の協力が不可欠です。
新しいくすりを世に出すために、何度も実験や試験を繰り返し、最終的には、人への有効性や安全性を「人」で試験します。これを「臨床試験」といいます。
その中でも、国(厚生労働省)から「くすり」として認めてもらうために行われる試験のことを「治験」といい、この、治験に協力してくれる被験者の皆さんを「治験ボランティア」と呼んでいます。
治験には協力費が出ます
治験ボランティアは、本来は無報酬ですが、治験参加中の時間的拘束や日常生活での制限、交通費などの負担を軽減するために、協力費という名目でかなり高額の「負担軽減費」が支払われます。そのため、結果的には有償ボランティアということになります。
通院タイプの治験
所要時間4〜5時間程度。協力金(負担軽減費)は7,000円〜10,000円
通院タイプなら、いつもの生活パターンを変えることなく、気軽に参加できます。
また、最近ではオンラインで実施する治験もあり、スマホやPCがあれば全国どこからでも参加が可能です。
入院タイプの治験
病院に入院し、きちんと時間管理された生活を送りながら検査をします。協力金(負担軽減費)は、1泊10,000〜20,000円
長期の休みを確保しやすい自由業の方や学生の皆さん!入院タイプの治験に一度参加してみませんか。
※治験についての詳細は厚生労働省のホームページに紹介されています。
治験とはでご確認ください。
沖縄県で治験ボランティアをする!実施施設・病院のご案内
治験実施施設・病院の住所、ホームページURLなどをご参考に、お問い合わせください。
<おことわり>
沖縄県で治験を実施している施設・病院全てをご紹介できているわけではありません。ご了承ください。
治験実施施設・病院
琉球大学病院
施設紹介
琉大病院の理念は「病める人の立場に立った、質の高い医療を提供するとともに、地域・社会に貢献する優れた医療人を育成する」です。
令和3年には病院機能評価の受審とその認定がありました。特定機能病院として、機能向上に関連して実現させた多くのコト・モノをベースに、さらに、各科診療機能の充実、国際医療支援室の活動の拡大、海軍病院と連携(患者受け入れ、災害訓練など)などをすすめ、沖縄の医療の最後の砦として尽力していきます。
沖縄県中頭郡西原町字上原207
臨床研究支援センター
http://www.ryukyu-clinical-research.jp/index.jsp
国立病院機構 沖縄病院
施設紹介
当院は沖縄県全域を診療圏とし、呼吸器センター・神経筋センター・肺がんセンターの役割を担っています。2006年にはISO9001の認証を取得し緩和ケア病棟を運営しています。
治験においては、呼吸器疾患、がん関連薬品、抗菌薬、神経筋疾患用剤の治験を受け入れることができます。治験管理室では当院で行われる治験が円滑に進むように迅速、かつ正確に支援しています。
沖縄県宜野湾市我如古3-20-14
治験管理室
https://okinawa.hosp.go.jp/personnel/ctm/
国立病院機構 琉球病院
施設紹介
当院は、昭和24年に設立した、沖縄で初めての精神科病院です。
特徴は、訪問看護・地域精神医療、治療抵抗性統合失調症(クロザピン・m-ECT)、アルコール・薬物依存症医療、児童・思春期精神医療、認知症医療、司法精神医療(医療観察法入院・通院、鑑定)、重度心身障害児(者)医療(強度行動障害)などの各種精神科専門医療を推し進めているところです。
さらには北部圏域の精神科救急基幹病院を担い、またDPAT(Disaster Psychiatric Assistance Team 災害派遣精神医療チーム)にも取り組み、沖縄県の先遣隊の指名も受けました。
沖縄県国頭郡金武町字金武7958-1
治験管理室
https://ryukyu.hosp.go.jp/departments/ctm/
医療法人那覇西会 那覇西クリニック
施設紹介
データ管理室のご案内
那覇西クリニック治験データ管理室では、沖縄県で乳癌の治療を受けている方々が最新の治療を受けられるよう、積極的に臨床研究に取り組んでいます。
現在は、全国数十施設しか参加できない新しいお薬の研究に参加しており、条件に合った患者さんがいた場合、沖縄県内では那覇西クリニックのみで新しいお薬の治療を受けることもできます。
沖縄県那覇市赤嶺2-1-9
治験データ管理室
https://www.naha-nishi-clinic.or.jp/nahanishi/section/trial_data/about/
沖縄県立南部医療センター・こども医療センター
施設紹介
当センターは、2006年4月に県立那覇病院(那覇市)と県立南部病院(糸満市)を整理・統合し、成人の診療を行う南部医療センターと県民20万人の署名により実現したこども医療センターがひとつになった、複合基幹病院として開院しました。
総病床数434床(小児病床114床)の急性期医療を行う病院と位置づけられ、胎児期から成人までのあらゆる疾患に対応する、高度で多機能な病院として本年16年目を迎え、「こどもから大人まで『大切な命を守り、県民に貢献する』病院」を理念として、日々の診療に当たっています。
沖縄県島尻郡南風原町新川118-1
治験管理センター
https://nanbuweb.hosp.pref.okinawa.jp/chiken/guidance/
社会医療法人仁愛会 浦添総合病院
施設紹介
2001年6月に沖縄県知事より、地域医療支援病院の承認を受けています。地域医療支援病院とは、地域における医療連携の体系化として、紹介患者に対する医療の提供、医療機器の共同利用、研修の実施を行う等、一定の基準を満たす、かかりつけ医・かかりつけ歯科医等を支援する病院のことです。
2007年4月「へき地医療拠点病院」の指定を受けています。沖縄県のへき地医療対策は、ドクターヘリによる救急患者の搬送等地域医療の取り組みと連動しています。
沖縄県浦添市伊祖4-16-1
臨床研究支援センター
https://jin-aikai.com/urasoe/department/research/
社会医療法人友愛会 友愛医療センター
施設紹介
治験管理室では、倫理的かつ科学的に質の高い治験を安全に実施するため、治験管理室長以下、専任のCRCで組織編成し新たに2016年10月1日より運用を行っています。
当院では、1980年の創立以来、医療、保健、福祉で患者様に良質な医療とサービスを提供するよう努めてきました。科学的な根拠に基づいた良質な医療を提供すること、新薬の候補を多くの皆様に知っていただき、新たな治療に繋がる新薬の候補の有効性と安全性をしっかり見極めることを専任のCRCおよび当院のスタッフがサポートしています。
沖縄県豊見城市字与根50-5
治験管理室
https://ymc.yuuai.or.jp/department/trial/
医療法人徳洲会 南部徳洲会病院
施設紹介
当院は1979(昭和54)年6月1日に開院以来、「生命だけは平等だ」の理念のもとに、「いつでも、どこでも、だれでもが、安心して最善の医療を受けられる社会」を目指し、日々、救急医療や離島僻地医療を柱に高度先進医療、介護福祉、予防医療に幅広く取り組んできました。
臨床試験センターでは、2007年より多くの患者様のご理解とご協力頂き「治験」を実施しています。これからも、患者様が安心・安全に治験に参加いただけるよう、全力でサポートします。
沖縄県島尻郡八重瀬町字外間171-1
臨床試験センター
https://www.nantoku.org/section/clinicaltrial.php
医療法人徳洲会 中部徳洲会病院
施設紹介
徳洲会グループの基本理念であり、診療の根幹である“24時間救急対応、断らない医療”を堅持しています。
2016年4月、現在の北中城村への移転を機に、病院の規模を大幅に拡大し、2017年には沖縄県の災害拠点病院にも指定されました。県内最大級の屋上ヘリポートを設置し、大規模災害時の対応、そして本島北部地域・離島の高度救命医療が必要な救急患者様への迅速な対応も可能となり、救急医療の守備範囲も拡大しております
沖縄県中頭郡北中城村字比嘉801
治験とは
http://www.cyutoku.or.jp/service/chiken/
治験に参加するなら「治験コンシェル」への登録がおすすめ
治験に興味を持たれた方や参加してみようと思われた方に、「治験コンシェル」への会員登録をおすすめします。
治験ボランティア募集案件を個人で各病院に問い合わせるのは、手間も時間もかかります。
「治験コンシェル」なら、会員登録をしてページにログインするだけで、募集中の治験の最新情報が得られます。また、ご自身に合う条件をこまかく設定して検索することができます。
治験コンシェルでは、関東圏や九州を拠点に、日本各地で実施される治験案件を数多く取り扱っており、スムーズなマッチングや応募ができます。
もちろん、登録は一切無料。登録したからといって、必ず治験に参加しなければいけないわけではありません。また治験への参加を強制することも絶対にありません。
沖縄県で治験に参加!ついでに行きたいこんな名所
沖縄県での治験の際に、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
☆情報は記事掲載時点のものです。最新情報や詳細は公式サイトなどで事前に確認されるようおすすめします。
琉球大学病院周辺
沖縄県中頭郡
内間御殿(うちまうどぅん)
沖縄県中頭郡西原町字嘉手苅59
天然記念物、樹齢400年のサガリバナ。1月のコスモス
内間御殿は、第2尚氏王統の始祖である金丸(のちの尚円王)が内間地頭に任ぜられて王位につくまでの15年間住んだ住宅跡に、尚円王の没後190年を経てから建てられた、神殿を中心とした祭祀施設です。
平民の子として生まれた金丸は24歳で首里に上がり、のちの尚泰久王の家臣となり昇進するも、次の尚徳王との対立で内間村に隠遁。尚徳王の急逝によって群臣に王として迎えられる・・・、という波乱の物語があります。
190年の後、摂政向象賢の国王への進言によって金丸の旧宅跡地に茅葺の神殿(2間×3間)東江御殿を建設。1689年には、樫木を使った瓦葺の神殿に改築されました。
東江御殿では御神体が盗まれ、その後田んぼの中から発見されるという事件があり、それを機に屋敷囲いを竹垣から石垣積みに改修し、本門(瓦葺の屋根を載せた門)と小門(正門のわきにある通用門)が設けられました。
沖縄戦で御殿は消失しましたが、石垣や建物の基壇、先王旧宅碑の台座などの石造遺構は残っています。
戦後の1951(昭和26)年、ウフヤ一門やハワイ在住の一門らによって東江御殿跡にトタン葺の拝殿が再建されました。1974(昭和49)年、現在のコンクリートブロック造りのトタン葺拝殿(2間×2間半)に改修されています。
サワフジ(サガリバナ)
内間御殿のサワフジ(サガリバナ)は、樹齢400年以上といわれており、樹高約5.5メートル、枝張りが7.4メートル前後。本島内で名前が挙がる老木のひとつです。夏になると直径5センチ、長さ50センチの穂状の白または淡紅色の花序が垂れ下がります。びっしりとオシベが並ぶ美しい花は一夜で散ってしまうため一夜花とも言われています。
西原町コスモス畑
国指定史跡・内間御殿(うちまうどぅん)前の畑のコスモスは1月下旬から見ごろになります。
この畑は、嘉手苅自治会のさわふじ会や子ども会が11月に種を植え世話をして咲かせています。育成は全て住民による手づくりです。例年、1月下旬がコスモス最盛期で、ピンクや白の可憐な花を目当てに、子ども連れの家族や、カップルなど地元の人が集まります。
空手博物館
沖縄県中頭郡西原町上原147-2
空手ファン必見。世界で唯一の空手博物館
沖縄剛柔流と古武道範士外間哲弘館長が運営する世界初の空手博物館は、1987年1月に設立されました。
館内には本場ならではの貴重な空手関連の歴史資料が展示されています。また、館内での写真撮影がほぼOKというのも観光客に好評です。
外間哲弘館長 (10段)は空手学博士にして剛柔流と琉球古武術を伝える達人でもあり、初心者への空手体験から指導者クラスへの指導まで、レベルに応じた細かな指導には定評があります。
興味のある人には空手の体験コースがあり、長期滞在者用に、館内には宿泊施設も完備しています。
国立病院機構 沖縄病院
沖縄県宜野湾市
嘉数高台公園
沖縄県宜野湾市嘉数1-5
普天間基地が一望。沖縄戦の激戦の地
沖縄戦の激戦地。今は遊具や展望台、桜の木で有名な公園ですが、当公園や嘉数周辺には、住民が避難した洞窟や日本兵が利用した「ミーガー」、戦闘で使用された「トーチカ」、激戦を物語る「弾痕の塀」、沖縄戦で亡くなった嘉数住民を偲ぶ「嘉数の塔」、戦死した京都出身のための「京都の塔」など、慰霊碑が多数点在しており、戦争について学べる場でもあります。
【銘文一部引用】
米軍は1945(昭和20)年4月1日、沖縄本島の中部西海岸から上陸し、南下しました。嘉数を中心とした戦線で、待ち構えた日本軍と最初の大規模な戦闘を始めます。戦闘の末に、日本軍は撤退し戦線は浦添、西原、首里、そして南部方面へと移りました。嘉数住民はテラガマ、チヂフチャーガマなどの洞窟に避難していました。日米両軍の戦闘が始まる前に、南部方面へ避難した人と嘉数に残った人がいましたが、いずれも戦闘に巻き込まれ、住民の半数以上が亡くなりました。
世界平和を願う地球儀をイメージした展望台からは那覇市や浦添市、遠くは読谷村や米軍の普天間基も見えます。離発着する米軍機(オスプレイ等)をここから見ることもできます。
ぎのわん海浜公園
沖縄県宜野湾市真志喜4-2-1
みんなで使える、いろいろ使える施設充実!市民のための海浜公園
トロピカルビーチ
トロピカルビーチのシンボルアーチをくぐるとそこには青く澄んだ海。海水浴、バナナボート、シーカヤック、ビーチボールなどのスポーツやバーベキューが楽しめます。
市立野球場
東シナ海に面して設置されたロケーションの良い球場です。少年野球、草野球、ソフトボールなど老若男女が活用しています。また、冷房完備の会議室や放送施設、スコアボードの利用も可能です。
市立体育館
プロスポーツや各種イベントが開催されるほか、バスケット・バレーボール・バドミントン・ハンドボール・卓球などの室内スポーツが楽しめます。ミーティングルームやさまざまなトレーニング機器が充実しており、チームでも個人でも利用が可能です。
市立グラウンド
全天候トラックと芝生のフィールド。陸上競技の練習から大会まで、さまざまなスポーツに適応できるようになっています。また、スポーツ以外のイベントに使用することもできます。
海浜公園
多目的広場は、数千人を収用できる全面芝生の広場です。広場の周りには周遊道路があり、ウォーキングにも最適。暑い日差しを避けたい人や、仕事帰りにウォーキングしたい人のために、夜は12灯の照明設備でサポートしています。
その他、「いこいの市民パーク」「庭球場」「屋外劇場」とさまざまな用途に利用できる市民のための施設が集約されています。
我如古ヒージャーガー
沖縄県宜野湾市我如古1-36-12
沖縄県内各地に点在する、貴重な水を溜める井戸
井泉の中でも、浅い井戸になっているものを単に「カー」、岩盤の奥の水脈から樋(とひ)で水を引いてきて溜める井戸を、「樋川(ヒージャー)」または「樋川井(ヒージャーガー)と呼んでいます。このような井戸は、沖縄県内各地に点在しています
我如古ヒージャーガーは明治25年(1892)、部落の新末吉と上間家の優れた石工二人の指導により、部落民総出で、半年の月日をかけて現在の石造りに仕上げたと伝えられています。
この湧水の素晴らしさは、不整形な積み石の面がカミソリさえも差し入れられないほど精巧にかみあう“あいかた積み”の手法が湧き口周囲の石垣部にも取り入れられていることです。
また、その湧き口に降りる十五段の石畳道の下側、五段部分が自然の岩盤を削って仕上げられており、それが左右両袖の“あいかたと雑積み”石垣の基礎になるという工法が秀逸です。
沖縄各地のヒージャーガーを探訪する旅も、楽しそうです。
医療法人那覇西会 那覇西クリニック周辺
沖縄県那覇市
金城町石畳道
沖縄県那覇市首里金城町2-84-3
石畳の古道。琉球王朝の栄光の名残
首里城公園の南側斜面にある、琉球石灰岩が敷かれた石畳の古道「金城町石畳道」沖縄県指定文化財。長さは300m、道幅は約4m。首里城から国場川の真玉橋に至る長さ4 km、総延長10 kmの官道であった真珠道の一部です。
真珠道は、琉球王国尚真王(1477~1526)の治世1522年頃、首里城から南部へ行く道として建造が始まった歴史ある重要な通りです。当時、舗装された表面が白く輝いていたため、この名前が付けられました。
戦争によって300mしか残っていませんが、両脇に沖縄の風情ある古民家が続いています。石畳沿いの家では普通に生活していますので、マナーを守って見て歩きましょう
【銘文より一部引用】
全長300m、敷石は大小の琉球石灰岩を組み合わせた「乱れ敷き」で、石の表面には適度な加工が施されていたが、長い年月で摩耗している。急な勾配のところでは石の表面に滑り止めの横線の刻みを入れたり、階段をつけたりしている。沿道の石垣は、琉球石灰岩を用い、主に沖縄独持の石積みの手法である「あいかた積み」で積まれており、石畳と調和して城下町の風情を残している。
識名園(しきなえん)
沖縄県那覇市真地421-7
静寂の中、琉球王国の庭園と屋敷がお出迎え
識名園(通常シチナヌウドゥンと呼ばれる)は、琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用されました。
1799年につくられ、1800年に尚温王冊封(さっぽう)のため訪れた清国の正使(せいし)趙文揩、副使(ふくし)李鼎元(りていげん)を招いた記録が残っています。首里城の南にあるので「南苑(なんえん)」とも呼ばれました。
識名園の庭園は「廻遊式庭園」です。これは、近世に日本の大名が競ってつくるようになった造園形式ですが、識名園では、「心」の字をくずした池の形(心字池)を中心に、池に浮かぶ島には中国風あずまやの六角堂や大小のアーチが配され、池の周囲には琉球石灰岩を積みまわすなど、随所に琉球独特の様式が見られます。
1941年(昭和16年)12月に国指定の「名勝」となりましたが、1945年(昭和20年)4月、第2次世界大戦の沖縄戦で破壊されました。
1975~96年(昭和50年~平成8年)総事業費7億8千万円をかけて復元整備され、1976年(昭和51年)1月30日国指定「名勝」、2000年(平成12年)3月30日に国指定「特別名勝」に。
2000年(平成12年)12月2日には、ユネスコ世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)として登録されました。
壺屋やちむん通り
沖縄県那覇市壺屋1-16
沖縄産の名窯陶磁器を見る・買う・楽しむ壺屋地区
国際通り近くのアーケード街・平和通りを抜けると、そこは焼き物の街・壺屋地区。壺屋地区にある石畳の続く通りが、観光スポットとして人気の壺屋やちむん通りです。
「やちむん」とは焼き物(陶器)のこと。1682年、琉球王府の政策で、当時3カ所あった陶窯の職人たちを壺屋に集めて窯場を開き、焼き物の街を創り上げました。壺屋地区では、歴史と伝統を引き継ぎながら、現在も20軒余りの工房が「壺屋焼」を作り続けています。
「やちむん」の特徴は、絵付けの鮮やかさと躍動感あふれる模様にあります。 色は、沖縄の青い海を彷彿させるコバルトブルー、棕櫚の木や南国の植物を思わせる緑(オーグスヤ)、 またこれらの色と対になる茶色(飴色)が多く用いられます。
琉球石灰岩の石畳が約400mにわたって敷き詰められたやちむん通り沿いには、陶芸工房や直売店、ギャラリーが軒を連ねています。通りは車も少なく、ショッピングや散策にぴったりです。
新しい薬を誕生させるために行われる「
治験」についての説明は公的機関の情報もご確認ください。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/fukyu.html